趣味があなたを助けるかもしれません。

僕は映画好きだった。

何がきっかけで映画が好きになったのはさだかではありませんが、僕は中学2年頃だったと思います。映画をとてもすきになり、学校をサボって映画を見るようになりました。今の時代ではとても無理だと思いますが、僕が中学の頃はそれができました。
学校を早退するわけですが、早退理由は体の調子が悪い、です。何度も早退するので、僕は学校では体が弱い子供と思われていました。

新しい映画が封切りになるともういても立ってもいられません。

近くの映画館は2軒だけでしたから、代わる代わるに通いました。でも、新しい映画が封切りになると、最低2週間は同じ映画を上映しています。そのため待ちに待った新しい映画が上映されると、もういても立ってもいられません。すぐに体調が悪いと先生に報告し早退して映画館へ直行です。一番退屈なのはなかなか新しい映画に切り替わらないときです。やむを得ないときは同じ映画を何度も見たことがあります。

中学時代は日本映画、高校時代は洋画が専門。

中学時代は日本映画にはまっていました。当時は日本映画と言えば時代劇が主です。最後に正義が必ず勝つという同じような内容の時代劇でしたが、夢中になって見ていました。
高校生になっても学校をサボって映画を見る習慣は変わりませんでしたが、趣味は日本映画から洋画に変わりました。アメリカ映画が主流でした。映画に出てくる美しい女優にあこがれたものです。

学校をサボって映画を見るときの最大の邪魔もの。

中学生の時も高校生の時も映画館がオープンする昼頃に行くこともたびたびありました。もちろん、映画館のもぎりの人を始め誰もとがめる者はいあせんでした。が、やっかいな集団がいました。それは学校にも行かずに町をうろうろしている集団 。すなわち、当時はあ”不良”と言っていた集団。昼間から4〜5人で町をうろうろしながらよからぬ相談をしていました。
当然こちらも昼間からうろうろしているわけですから、彼らの目にとまります。たびたび呼び止められ、仲間に誘われましたが、なんだかんだと言い訳しながらなんとか彼らの集団に入らずにすみました。

洋画にはまり英語に興味がわき出しました。

高校の終わり頃だと思いますが、洋画を見まくっていると、自然に字幕ではなく英語そのものを理解したいという気持ちがわいてきました。当然、簡単には理解できるようにはなりませんが、自然に英単語を覚えるようになったり、英語の文章を読んだりし始めました。まちろん、今思えば勉強というほどではありませんが、何かと英語の勉強を続けるようになりました。

偏差値40そこそこの大学に合格。

映画ばっかり観て過ごした高校時代ですから、成績はもう後ろから数えた方が早いぐらいです。当然、どこの大学にも合格する自信はありません。一浪してやっとこさ偏差値40そこそこの大学に合格しました。後で知ったことですが、その大学は英語教育に力を入れていて、英語の成績が良い学生を優遇していました。僕はほとん英語の成績だけで合格していました。

大学でも英語の勉強だけは続ける。

大学へ入学してもほとんど授業には出ないでキャンパスや近くの町をぶらぶらして過ごしました。そんな学生生活ですから卒業もできません。ご存じではないと思いますが、大学は最長8年しか在学できません。その間に単位を取って卒業しないと退学になります。
今でもはっきりと覚えています。7年目の春のことです。久しぶりに大学へ行ってみるといてみると、AB教授の研究室へ出頭しろ、という掲示板が目がとまりました。びっくりして教授の研究室へ出向くと、
「君、大学というところは8年しかいられないんだよ、君は卒業証書を持って大学を出て行くか持たないで出て行くかここで決めなさい」
ビックして、弱々しくこたえました。
「卒業証書を持って出て行きたいと思います。」
「それにはあと××単位とって、卒論を書きなさい」
そんな大学生活でしたが、大学にはアメリカ人教授が数人いたりして、英語勉強の環境は整っていました。そのために、ごくたまにアメリカ人教授との交流会に出たり、英語ぺらぺらの友人達ともつきあいました。このころに英語の基礎的なことをマスターしていたと思います。

なんとか外資系へ潜り込む。

偏差値40そこそこの大学を8年もかかって卒業した者にはろくな就職口もありません。なんとか倒産寸前の会社に就職し、その後数社転職して、ある年なんと外資系へ就職することができました。奇跡です。ほそぼそと英語の勉強を続けてきて良かったとつくづく思いました。それも中学時代から学校をサボって映画を見続けてきた結果です。どんな趣味でもあなたの助けになります。